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平成から令和に変わった節目で健幸について思う(その1)

 

36年間勤め上げた製薬会社を昨年4月退職しました。

退職してこの1年生活習慣を見直して自立することを心がけてきました。

36年間会社人間で通してきましたので看板を下ろすことはかなりの勇気でした。

そんな1年間の中で、義母の旅支度に関われたことや愛犬を見送った経験はかけがえのないものでした。

今の医療は病気を待って治療するマネジメントです。

これからは、健康や予防に目標をシフトした医療が大切であると思います。

そのためには私たち国民一人一人が健康マネジメントを実践し相互に対話し協力していくことが重要です。

 2003年春、「がん医療マネジメント研究会」を立ち上げ地域医療の前進を垣間見ました。

 これからは、「健幸」「自立」をキーワードに医療情報の翻訳者、あるいは健幸マネージャを目指したいと思います。"

1.医療はどう変わるべき??

 自己流の『生』を続けているが、頭の中で「あれは」「これは」と思いながら容赦なく1日が過ぎる。

 2005年85歳で他界した父の日記の一行です。

 父は、10年近く慢性混合性肺疾患を基礎疾患にもち、在宅治療を続けながら亡くなりました。

 父の終末期は、父が書きためた日記からわかりました。

「6月12日曇りのち雨、気圧の動きと自分の体調が相関してくるのか?いつもより体調苦しむ」。

私の両親は、埼玉県の北部の田園地帯に住んでいました。医療提供体制は十分とは言えませんでしたが、自然死を選択できた1人だったと思います。

父は自らピークフロメーターや血圧の記録を日課としながら自己管理し、体調に変化を来すとタクシーで開業医に出かけていくというパターンを繰り返していました。介護保険や障害者手帳など最低限の社会保障を受け生活していました。病気の苦しさ、迷惑をかけまいとする気持ち、老夫婦で自立しながら病気と闘おうとする気持ちを終始貫いたと思います。自分の気力に負けまいと必死になって「生」と向き合っていた心中は、抱え込んだ苦しみを分かち合ってくれる妻や友人、家庭医との心のふれいあいにつきると思います。"

 21世紀に入り高齢化社会を迎え、生活習慣病や慢性疾患が増加し、医療は病気を叩くことよりも、病気と付き合うことの大切さを選択し始めました。コミュニティが「医療はヒトとヒトのシステムの素晴らしさに支えられている」ことに気づき始めたとしたら、これからは従来からある臨床や医学技術の研究に加えて、“ヒトのシステム”に焦点をあてることが求められていると思います。

 患者は、明日への希望、病の恐怖、医学的な無知を一緒に取り組んでくれる医師を求めています。国の医療政策をベースラインコンセプトとし、ルール、ヒト、技術を3位一体としたコミュニティプランを築き、それを実践し、チェックし、更に改修しながら継続性のある地域医療体系を実現する翻訳者の育成が大変重要であると思います。

 多種多様な情報が社会に溢れる現代社会において、間違った情報の氾濫による国民に与える影響は、生活を乱すだけでなく、医師による正しい治療にとって大きな障害になる危険性をはらんでいます。このような環境を考慮し、正しい翻訳者を育成し、役割を1つ1つ考えていくことで医療政策の実現に貢献できるのではないでしょうか。

限られたリソースで「健康のケア」をゴールに社会貢献でいたら本望です。