須磨氏との出会いは96年のセミナーでした。
薬業界は自由薬価に備え、多くの示唆が業界を駆けめぐり欧州型償還、米国型色々の憶測が飛び交う中、私は米国の医療に興味を持ち、この目で確かめたくなりました。
そんな時出会ったのが須磨氏です。セミナーの講義を聴いて、マンションまで押しかけ、色々なお話しを伺いました。その後、私のメンターとして大きな存在になりました。
米国研修では、多くの事を学び、世界の中でがん医療を総合的にフォローできる企業を目指せと言われました。
また、その後社内で実現した有識者フォーラムでは座長を引き受けていただき、Evidence Information Setsの実現、外来通院ホスピスに対する取り組み、個々の患者に対するオーダーメイド・セラピーの実現、ケースマネジメントの実現(疾患別マネジメントパッケージ)、リスクマネジメントへの取り組み(Quality Management)を提言してくれました。その後、いくつかは社内でも採用され実現の運びになりました。
2002年6月の会社行事の一つである永年勤続表彰に伴い同期会を開催、幹事として企画したヨーコゼッターランド女史の招聘は須磨氏の力添えでした。講演は同期60名が大きな力を貰い、盛況でした。
また、一橋大学特認教授に就任された2007年3月31日に高円寺のスタジオで企画・実施した音楽会は大変盛況でした。その時のことばとして、「コミュニケーションとは記録ではなく、記憶なんだよね」と提言してくれました。
65年間という短い生涯を閉じましたが、須磨氏の教えとして「健康のケア」をゴールに今後歩みたいと思います。